単純に自分からやるのは、想造してワクワクして情熱的で楽しく
言われたりやらされるのは楽しくないです。が、できたら褒めてもらえます。
少し思い返してみますと
いわゆる学校の勉強ができる人というのは、ほとんどがやらされていたのではないでしょうか?
なかには本当に探究心を持って勉強されていた方もいらっしゃるでしょうが、すべての教科においてバランスよく好成績なんてありえないことでしょう。
言われたことや、やらされることは、それができると褒められるのでちょっと嬉しいですよね。
反対に、自分がやりたいことというのは自分以外の誰も相手にも評価もしてくれないので手応えがなく後回しになりがちです。
勉強好きは褒められてロック好きは怒られるという構図、言い換えれば「そんなお金にもならないことして~」
本当に満足して幸せを感じるのは、自分で想造し、納得し、現実になったときなのではないのかなと思います。
私たちはもともと自分勝手に、やりたいように好き勝手にしたいという欲を持っています。
「遊び」は誰かに言われてやるようなことではありませんし、いいも悪いも評価はなく自分が楽しいかどうかだけ。
私が常に思っている
「私たちは本能で歌うようにできている」という話。
小さな子供はどんな子でも絵を描き歌を歌い大いに遊びますが、大人になると恥ずかしくなって比較されて評価されて嫌になって
自分自身でそれらにフタをしてしまう。
すっかり捨てたように思っていても誰かの歌を聴いて感動したり、コンサートに行って心震わせたり
スポーツで走り回ったり、居酒屋で大騒ぎしたり、飲んだ後にカラオケに行き歌ったり
フタをしてしまったはずの「遊ぶ」本能が生活の中で知らないうちに顔を覗かせているのです。
もちろん社会のニーズに応えて仕事をしていくことは大切で、褒められることがお給料でありそれで生活しています。
しかしそれと同じバランスで無意味なことを無邪気にやるのがいいと思います。
ただしもう大人ですので他人が迷惑することはやめておきましょう。
人生の中で「遊び」を増やすのは、自分からやることを増やすことです。
自分からやるのは、想造してワクワクして情熱的で楽しいからです。
世の中全体が経済だけの価値観で動いているように見えるこの時代、物事を測る手段が経済だけでは何か寂しいと感じます。
面白いから、やってみたいから、大声出したいから、知らない街に行きたいから
なんでもやってみれば良いし、三日坊主こそ最高の遊びです。
自分からやるのか、言われてやるのか、やらされているのか。
「自分から」を増やしていけば楽しくなります。
ありがとうございました。