何かになりたい時や、知りたい時は、調べて深めて経験して、答えを探し始めます。
学生の頃のテストは、勉強して調べて考えて、問題が求めている答えを探す?当てる?
テストで答えがたくさん当たって良い点数なら、いい学校へ行けて、いい仕事ができるというのが、私の世代の一般的な考え方でしたが、私はロックスターになりたかったので勉強は全然しませんでした。ロッカーになれるテストだったら勉強したかもしれませんね。しないか?
スポーツや趣味や事業も、興味を持ってやりたくなって勉強して動きだし、自分が知りたいことを学ぶ。わからない部分のやり方や対処法=答えを探している。
欲しいモノゴトの「答え」がわかれば大満足できるはずです。
でも一番楽しくてワクワクしているのは、答えを探して前に進んでいるとき。出来なかったことが徐々に出来てくる喜び、分からなかったことの糸口が見えてくるときの喜び。
「答え」があると思っていたけれど、そんなことは忘れて、とっくにその答えを乗り越えて、また次の興味に進んでいく。
ウクレレ教室でも、最初は難しいコードが弾けなかったのに、知らないうちに弾けるようになって答えを見つけている。でも、それに満足するより、もう次の右手の弾き方の課題があって答えを探して進んでいる。
そんな学生時代を送った私は、その後バンドマンになり、一つの「答え」だとおもっていたメジャーレーベルまでたどり着きましたが、答えの真上にいるはずなのに、そこは、ただのスタート地点でした。
ゴールとか「答え」は、あるように見えますが、それを追い求め、そこに進んでいる過程こそが「答え」かもしれません。
欲しのは、答えではなくて探究心
ディスカバリーチャンネルのコピーですが、本当にいい言葉です。
私が白血病になってしまったとき、長期入院でドン底で苦しくても「とにかくまた、あそこに戻る!」どうすればあそこに戻れるのか?ばかり考えて願っていました。
”あそこ”とはもちろん、今私がいる、この一般社会のことです。
自分の思うがままに、自由になんでも出来る、好きな人と一緒にいられて、働いて、飲みに行って、笑って遊んで、作り出せる、この最高の世の中です。
運良く移植をさせていただき紆余曲折を経て、なんとか退院できたとき
「あー夢がかなった最高!答えを見つけてここに戻れたー!」とは、なりませんでした。
もちろん長い入院生活から抜けられた嬉しさはありましたが、退院するのを「答え」のように大前提として捉えて進んできたのに、それが全然答えじゃなかった。
あれだけ憧れていたこの最高の世界に今たどり着いているのに、もう次のことばかり考えて進んでいる。
またまた「答え」の真上にいるはずなのに、そこは、ただのスタート地点だった。
だから、また「よし!」と前に進める。
楽しいのは「答え」ではなくて探究心
ありがとうございました。