先日おもしろいことがありました。
あるスペースをお掃除するときに、ゴミを粘着テープでコロコロお掃除する「コロコロ粘着ローラー」を使っていますが、不特定多数の方がそれを使います。
コロコロ掃除を終えてプラスティックのケースに入れる時に、皆さんどうするでしょうか?
①汚れたシートを剥いでケースに入れる。
②汚れたままのシートでケースに入れる。
私は①です。 ”次の人のために” 使ったら剥がして収納する。
そしていざ使用するときに、たまにシートが汚いままの時がありました。「もう~シートを剥がしておいてよね~」
やりっぱなしにしてダラしがない人はどうしてもいるんだよね。でも「全部それでよくて、みんな正しい」からまあいいや!
しかし、ある日②のしまい方をした女性に話を聞いて、大変驚いてしまいました。
その理由は、なんと、こんな観点からだったのです。
「シートをはがしてから収納するとプラスティックのケースに粘着テープが張り付いて取り出しにくかったりグチャグチャになってしまうかもしれないから、”次の人のために” 汚れたままでしまっているのよ。使用直前に剥がせば良いのよ」
①の人も②の人も「次の人のため」思いやりの優しい気持ちなのに、全く正反対のやり方でケースに収納していたのでした。
このような経験から、自分と違う価値観にもし出会ったとしても、まず落ち着いて、すぐ批判しないほうがよさそうですね。
「全部それでよくて、みんな正しい」のだから「自分とは違うやり方」とわかるだけで良いのだと思います。違うから面白い。
どこかでそう思っていれば、すべてが理解できなくても「まあいいか」と感じてきます。
自分が好感が持てて好きな人というのは、自分と考え方や価値観が近い、同じ、似ている、理解できる人。
仲良くない、嫌い、よく分からないという人というのは、自分と考え方や価値観が違う、理解不能な人。
たったこれだけのことで、ただその事実があるだけです。
自分にとって理解不能な人が、良い人か悪い人かは別の話。逆にあちらから私をみれば、こちらが理解不能な人に見えているわけで、怒ったり腹をたてるようなことではありません。
「全部それでよくて、みんな正しい」の観点からいくと「ただ自分と違うだけだ」というだけで、その人その人の正しさがある。
コロコロローラーのように、なにせ自分にはわからないことだらけ。もっとも、世の中すべてを理解することなんて出来るわけはありません。
理解できなくても大丈夫で「自分とは違うやり方」なだけです。
そんなことをコロコロ粘着ローラーに教えてもらいました。
ありがとうございました。