私はずっと昔からライブが大好きです。
ライブというのは生でやるということで、その時ならではの緊張感や雰囲気が伝わるのでやり直しがきかない美学があります。
その時その時の全てを出し表現し、終わってしまったら何も残らない過去に変わります。
それを体験したものだけが、その記憶を臨場感とともに記憶する。
練習はとても大切ですが、練習をただただ再現しているようなライブはその感覚が半減します。
体に染み付いている美学もあります。しかし本当の魅力とはライブの時にそれ以上を表現することが輝きになり感動を呼ぶのだと思います。
少し考えてみてください。
歌を例に挙げれば太古の昔、原始人?などは誰かが心の中をその時の気分で即興で歌い表現したと思うからです。
俳優の勝新太郎さんも殺陣の演技はリハなしのぶっつけ本番で緊張感を出していたそうです。
お笑い芸人を目指す方も、学生時代から面白かった方が多いのではないでしょうか。日々の生活の中で起こったことに瞬間的に即興で反応することで笑いが取れる。
ライブは本来の姿がそのまま生で出てくるところに惹かれるのです。
ところで皆さまご存知でしょうか?
私はこのブログを二日に一回、一日置きに書き続けているのです。
一日置きというのはあっという間に来てしまいます。
ですから時間がたっぷりある時に書きだめしておけば良いのです。
しかし、どうしてなのかそれは出来ません。
たとえ書いたとしても次の日にそれを読むと手直ししたくなり、直しているうちに言いたいことすら変わってしまうのです。
そのとき、その瞬間にどう思っているのか?やはりここでもライブ感にこだわっているようです。
若かりし頃、夜にラブレターを書き、次の日の朝それを読んで急に恥ずかしくなり丸めて捨てたというような経験はないでしょうか?
そこに本来の心が乗っかっていたのに、それを後で見るとむき出しの自分が出ていて恥ずかしいのです。しかしそこにこそ大切なものがあると思います。
その時の気持ちはその時にしかありません。
作詞作曲するときなども同じように作り置きはできません。
誰がいつどんなところでどんな世界で表現するかを想造して、その瞬間的なインスピレーションをなるべく短時間で歌詞と曲に置き換えデモにします。
それを後日また変えるということはブログと同じ理由ですることはありません。それを直し始めたらいつまでたっても完成せず作品ができないのですから。
音楽でも絵でも文章でも、これが私の作品だ!というにはここで終わりだと自分で決めることで発表できるのです。
発表した後に気に入らないと言って手直しすることはできないのですから。
そして毎日の私たちの日常もぶっつけ本番の練習なし、起こる出来事も会話も出会いもコミュニケーションも全てがライブです。
ライブならではのトラブルやサプライズというものもありますが、それに対しどう向き合うって対処するかも瞬間の生の判断。
私の白血病もトラブルだったのでしょうが、いいライブ感でここまでこられたと感謝とともに思っています。
楽しむ練習はありません。ただ楽しむだけしかありません。
ありがとうございました。