ゴールデンウィークのある晴れた朝に友人からメッセージが入りました。
ガズレレで知り合ったお友達の女の子がお亡くなりになったと。
驚きました。
私より年下の世代の女の子。自分の意見と意志がしっかりあって、決して媚びない強い印象でありながら笑顔たっぷりで、柔らかな独自の空気感を放つ素敵な女性。
ガズレレ発表会でも飛び入り参加してくださり、緊張しながらも、思い切りのいいハワイアンを聴かせてくださいました。
またワイワイやりたかったな。
お悔やみ申し上げます。
みなさんご存知の通り、私は白血病を患い長い入院生活の後に、運良くドナー様に恵まれ骨髄移植させていただきここにいます。
そういった体験をすると命について色々なことを考えます。というより、考えなくてはならなくなるのです。
今こうして着々と復活できてきて、その時にたくさん考えたことをここに少しづつ書いていこうとブログを始めました。
自分の命の事をどう捉えるかということもあるのでしょうが、人がお亡くなりになってしまった時に「命とはなんだろう?」と考えます。
私の入院期間中、同じ病室になった方がお亡くなりになる場面に出会いました。
3人の子供のお父さん、社長さん、若者。さっきまでそこにいたのに。
骨髄移植のために大学病院の無菌室に入った時、8つある無菌室のうち半分が幼児の患者さんでした。
私は自分のことを「36歳という若さで最後の戦いに臨む!」と勇んでいましたが、お隣の5歳のあの子も、今、あの歳で自分と同じ治療に挑んでいることを知って驚いてしまいました。
情けないやら困惑するやら、どうしてこんなことが起こってしまうのか?
長い入院期間中に、間近で何度もそのような光景を見ていると「生きる」とは、どういうことなのか?答えがあるのか無いのかもわからない。
そのとき唯一出来たことは、何かしらヒントを掴めないかと、気を紛らせながら本をたくさん読むことでした。
私の病院には図書室があり、幸いにもたくさんの本を読むことが出来ました。
本を読む中で、こんな言葉に出会いました。
人間は生まれたついでに生きている
なんとも言えぬ独特のムードを持つ言葉。
ここからは私の解釈なのですが、
つまり、人間はこの世に生まれ出たその瞬間に、人生のすべての目的を達成しているのだと。
そう考えれば我々の現在の年齢とは、生まれるという大切な大仕事をやり終えた、ただの余生の長さなのです。
私が35歳で白血病になった時に「35歳の若さでなぜこんな目に?」と思ったことや
5歳児と無菌室でお隣になって「こんなに小さな子供が?」とその子に対して思ったこと。
若くして逝ってしまった方たちへの気持ち。
そんな自分では管理できないような気持ちも、この言葉で少し救われるような気がしました。
お亡くなりになられた彼女のご家族、お仲間、お友達の皆さんは、さぞかし残念で悲しい気持ちでいらっしゃると思います。
でも彼女は、人生のすべての目的をしっかり達成して、余生をゆっくり楽しく皆んなと一緒に過ごして、旅立って行ったと思うのです。
そして私たちも、いま余生を過ごしています。
このようなタイミングで、自分の余生=今を、どう過ごして行くのか考える。
そんなことを、またここで考えるきっかけをくれたことにも感謝したいです。
ありがとうございました。