ウクレレ教室ガズレレで、ほぼ毎日どこかでワイワイウクレレを弾いてお伝えしている、のんきな日々です。
さて、思い返してみれば、もし私が白血病~骨髄移植をさせていただいた後、どこかの会社にスッと就職できていたら、きっとガズレレはなかったと思うのです。
退院して、働こうにも働けずに、いろいろ、考えながら、手探りしながら、やっと見つけ出したようなウクレレ教室。
それを教えてくれたのは、知り合いの女子Aちゃん。
彼女に「ウクレレ教えてよ!」と言われて「いいよー」と始めてみたら、ここまでになりました。
昨夜は浅草ビューホテルで行われた「日本映画監督協会80周年」のパーティーで近所のハーモニカの達人のおじさんとチームを組んでラウンジでの生演奏をしてきました。
日本の映像関係の重鎮クラスの方々が集う記念すべき日に、このような形で参加できて本当にうれしかったです。司会は奥田瑛二さんと田中みな実さん。
このお話に私に声をかけてくださったのは私が24歳?位からのお知り合いの高原秀和映画監督。高原監督はロックが大好きで、当時私が加入していた老舗パンクロックバンドのファンでもあり、プロモーションビデオやドキュメント映画などで一緒にお仕事させていただいたこともあるお方です。
その高原監督に昨年の末、20年ぶり???くらいに、私がたまたま訪れたライブハウス新宿ロフトに行った時、再開しました。ふらっとライブを見に来ていたのです。
最初私が声をかけると「??誰?」と言っていました。後から聞いたら「あんなすごい笑顔で笑いながら話しかけてくる久保田くん(私)は初めて見たから分からなかった!」そうです。
10数年前の当時、どれだけ自分がトンガっていたかがうかがい知れますね、、、。
もう最近はライブハウスにあまり行かないのですが、なぜその時、たまたま、新宿ロフトに行こうと思ったのか?
誘ってくれて一緒に行ったのは、私のウクレレ教室ガズレレがきっかけでお相手と出逢ってから、とうとう結婚までゴールインした、以前から仲の良いM子ちゃん。
そのM子ちゃんに「見に行こうよー」と誘われ見に行ったから、高原監督に再開できたのです。
そこから私がウクレレで「日本映画監督協会80周年」のパーティーに参加するまでが続いていたということ。
整理しますと、
ある日突然、白血病になってしまった。
幸いドナー様がいてくださったおかげで骨髄移植で助かり、なんとか退院。
ドナー様がいてくださったから、私は今ここにいることができます。
退院するもなかなかしんどく仕事も出来ないところに、知り合いの女子Aちゃんから「ウクレレ教えて」と言われ教え始めた。
就職していたらウクレレ教室ガズレレはなかった。
女子Aちゃんからウクレレ教えてと頼まれなかったらウクレレ教室ガズレレはなかった。
そのガズレレのコミュニティーが段々大きくなっていく中で、とうとうそこで相手と出会って結婚したM子ちゃんに誘われて、懐かしいライブハウスに顔を出した。
ガズレレがなかったら、その夫婦は生まれていなかった。
ライブハウスへの誘いを断っていたら高原監督とは再開できなかった。
そのライブハウスで20年ぶりの知り合い高原監督に出会った。(M子ちゃんと高原監督は面識なし)
私が「今、僕ウクレレ弾いているんですよ!」と伝えると高原監督はかなりビックリしていました。私のイメージがギンギンに重厚なエレキギターのイメージだったからだと思います。。。
その再開から少し経った、今から1ヶ月前くらいに高原監督から電話がかかってきて、パーティーでウクレレ演奏しない??
イベントを行う際に、何かありきたりではない面白い企画を考えている時
「あ!ウクレレ面白そう!久保田くんに電話だ!」と思い出して連絡してくれたそうです。
そして私の近所に住む知り合いでハーモニカの達人の永井さんに話ししたら「一緒にやりたい!」と意気投合して練習を繰り返し、本番に臨んだわけです。
まさに、奇跡の連鎖!!!!!!
すべて、ちゃんと、つながっているんですねー。
こう考えると、どんなことにも、変なことが起こっても、人に会うということも、いろいろなことに繋がっている最中のような、不思議な気になってきます。
だから、もっともっと繋がっていきましょう。
繋がっていると、きっと、ウクレレの音色に乗って、楽しいことばかりが起こりますよー。
今後もたくさんのイベントでライブをやらせていただきますが、全てこんなようなストーリーがあってのお話なのです。。。
楽しみです。
ありがとうございました。