私の勤務先には桜の木があります。
春になると美しい花を咲かせ、私たちを楽しませてくれる桜ですが、それを管理するのは、実は結構タイヘンなんです。
初夏になって花が散った時の花びらの掃き掃除、秋の落ち葉の掃き掃除は、やってもやっても終わらない。
春になり桜の花が咲けば、人々が集まり気分を良くし、そして美しく、ああ春が来た、と実感します。
しかしそれはたった1週間ほどで散ってしまう一瞬の美。
今朝もたっぷり落ち葉が積もった門の掃き掃除から始まりました。
もう秋の風物詩みたいなもので、爽やかに晴れてキリッとした空気の中をひたすらホウキではいていると夢中になってきて、風情というか、情緒があるというか、作業は大変なんですが、ちょっと贅沢な気分になってきます。
枯れ葉だらけだったところをモクモクと掃いていると、その場所はキレイさっぱりでとても気持ちがいい場所になります。
でも、そう思った瞬間、上からハラリハラリと新たな枯れ葉が舞い落ちてくる。
数分経てばすっかりまた落ち葉だらけになっている。
ここさっき掃き掃除したはずなのにな??
掃除が終わった!と思っても、またすぐに新しい落ち葉が降ってくる。それをすぐに掃除しても、またすぐ。こんな繰り返しで、やってもやっても終わらない。
そうしているうちに、季節は巡り、あっという間に時が経ってゆく。
この作業はいつ終わりがくるのかなーなんて考えていると、私たちの人生もこんなようなものなのかなーと感じてきます。
ここまでやれば大丈夫。 バッチリぬかりはない。
そう思っていても、次から次へと、落ち葉は降ってくる。問題は落ちてくる。
その度にそこをささっと掃いてきれいにしても、またすぐに違う落ち葉が降ってくる。
あーもう手がかかる。手がかかって面倒だけれど、風情というか、情緒があるというか、楽しい。
もし手がかかって面倒だと”だけ”しか感じられなかったら、どうなるでしょうか?
こんなに面倒なら後でまとめてやろう、やってもすぐ同じ状態ならもう後回しにしよう。
こんなに面倒なら掃き掃除はもうやらなくていいや。
こんなに面倒なら、この木を切ってしおう。
後回しにしたらあっという間に落ち葉が山のようにつもり、止めようものなら雨でこびりついてヒドイ有様になってしまう。
木を切ってしまえば、掃き掃除は無くなり、面倒は無くなる。
しかし、桜の花は咲かず、木も緑もなく、季節感もなく、風情もなく、贅沢もなく、笑顔もなく、楽しみもない、何もない、ただ時間が経つだけの無機質なコト=人生になってしまう。
無駄に思えるようなことや、面倒なことの中に、大きなヒントが隠されていそうな感じがします。
そこを楽しむことが出来れば最高!
ありがとうございました。