一見したら矛盾しているようなことを、このブログに書いていると思われているかもしれません。
ときには、
やりたいことがあればやるべきさ!過去に縛られていたら新たな人生は歩めないよ!
そして、ときには
今当たり前にあることに感謝しなきゃダメだ!足るを知るということを思い出そうー!
やりたいことはやるべきだという感覚は、まだ見ぬ景色を見るために「未来を考える」こと。欲張ること。夢見ること。
欲張らないと欲しいものは手に入りません。想造しないと何も形にはなりません。
愛する妻と結婚できたのも、音楽をやっているのも、楽しい事するのも、愉快な仲間に囲まれているのも、この感覚があったからこそです。
子どもが育っていく過程で言葉を話し、体を動かし、成長するのと同じように、ああなりたい、あそこに行きたいというような推進力。
足るを知るという感覚とは、今ここに居られることがありがたい、生きているだけでありがたい
ここにいらるだけでありがたい、という「感謝する」ということ。欲張らないこと。もう十分あるんだと知ること。
そして、過去に願ったことが叶ったと実感すること。確認すること。
どれだけ大食漢の食いしん坊さんでも、ご飯を食べ続けていたら、いずれはお腹いっぱいになります。
「あーもうお腹いっぱい!ごちそうさま」と言って食べるのをやめます。
この満腹中枢が作動しなければ、どうなってしまうでしょうか?
しかし、あれだけ満腹だったのにしばらくすると、またいつものようにお腹が空きます。
「あーお腹すいた」と「あーお腹いっぱい」の関係性のようなものだと思います。
「お腹すいた!」だけでは食べて食べて食べ続けて、どうなってしまうのでしょう?
「生きているだけでありがたい」という感覚だけではご飯も食べずに、、、
アクセルとブレーキ
作曲とライブ
新たな出会いと気心知れた仲間
どちらも片方だけでは全くもってダメだということ。
表裏一体。二つで一つであるようなことだと思います。
そして、私たちは普段生活している中で、いつもいつも同じ考えを持っているものなのでしょうか?
よく言われていることではありますが、人間の細胞は3ヶ月で総とっかえしているということ。
いつも同じ自分でいるように思っても、日々自分は変わっています。
1年前の自分の細胞は、いま一つもないのです。
今ある細胞が役目を終え排出され、新しい細胞が日々作られる。
ランチ前にすごくお腹が減っていた時の気分と、晩ご飯に大盛カレーライスを食べた直後は違う感覚です。
新しいことを始めてワクワクとビクビクが混ざり合っている時と、15年間も同じお仕事をしている最中の感覚は一緒ではありません。
去年ハワイに行って色々考えた時の自分と、今自宅にいる自分は違う考え方をしています。
このように、人には一貫性があるということさえ、よくわからないものだと感じます。
現に、10年前の自分が、現在の私を見たら、なにがどうなってそうなったのか確実に理解できないでしょう。
その時の自分の常識が、現在の自分の常識と違うからです。
つまり、変わらなく一貫性があると思っている自分の常識は、その時その時で変わっているということです。
それに気がつかずに、今はそう思っていないのに、以前に自分が言ったことに振り回されていると、またオカシナことになりそうな気もします。
ということは、
ときには、
やりたいことがあればやるべきさ!過去に縛られていたら新たな人生は歩めないよ!
そして、ときには
今当たり前にあることに感謝しなきゃダメだ!足るを知るということを思い出そうー!
と、その日その日、その時に思うがままにしていればいいのではないかと思います。
ありがとうございました。