美味しいものが大好きな知人がいます。
数え切れないくらいの名店をあちこち食べ歩きしているのだそうです。
ダンディーなその方はこんなことをおっしゃっていました
「美味しいものを食べると発見があるんだけど、もっと美味しいものにはそれ以上の新しさがいる。おかげさまで美味しいものをたくさん食べてきたけれど、食べれば食べるほどビックリするような美味しさを体験できなくなってきた」
なるほど確かに、美味しいものを食べれば食べるほど、次に同じレベルのものを食べた時には、あまり驚きはないということですよね。
音楽でもこのようなことは良くあります。
すごく斬新で新しいと感じた海外のバンドがいました。あまりのかっこよさに音楽好きの詳しい先輩に「これ聴いてみて!すごくかっこいいんです!」と聴いてもらうと
その先輩は「これはAバンドの古い作品にそっくりだね」
私にとっては感動するほど斬新でかっこよくても、先輩にとっては誰かの二番煎じに聴こえていました。
食べ物の話に戻りまして
Aくんがある食べ物を食べて「お!これはうまい!」と思ったとします。
これすごくおいしいよ~!と周りに伝えシェアするのは幸せのお裾分けのように日々あることですよね?
「これ美味しいから食べてみなよ」と友人に奨めると、その友人は
「あーこれは人工調味料と添加物と旨味調味料がたくさん入っているからだよ。健康に良くないよ~」
また他の友達は違うことを言い、また他の友達は僕も好きだという。それぞれいろいろな考え方があります。
誰も間違っていなくて、みんなそれぞれが正しい。
Aくんはそうやって一つ一つ勉強してゆくのですが、うまいものはうまいのです。
人によっては、自分の舌と情報に悩まされるのです。
自分でこれはいい!と思っていても
良いも悪いも、それに対して新しい情報が入ってくるときに、自分の感覚と情報に悩まされてしまいます。
自分がかっこいいと衝撃を受けた曲が「誰かにそっくり」と言われたら、その曲は嫌いになってしまうのか?
その原型と言われているバンドを聴いて深めていくのか。みんながダサいと言ったら聴くのをやめるのか?
自分があるのか、無いのか。
何かを食べて美味しいと思ったら、それはどこそこの店でもあったよとか、添加物だらけだよとか、いろんな情報が入ってきた時に、その食べ物は美味しくなくなったわけではないと思います。
自分の舌に自信がなくなり雑誌や口コミサイトで美味しさを判断することになる?
自分の耳に自信がなくなりチャートインしているかどうかで曲を判断するでしょうか?ザ・ベストテンで安心してファンになる?
自分の舌や耳や感覚は正しいに決まっています。それが良いと思う時は楽しいからです。
美味しいものを食べている時は楽しいです。かっこいい曲を聴くのは楽しいです。
後でそれが偽物だと言われたとしても、その時に楽しかったという事実は変わらない。
それが楽しいと感じるかつまらないと感じるか、美味しいと感じるか、不健康だと感じるか
それぞれみんな正しいのだと思うのです。
だとすると
正しさよりも楽しさ
二番煎じでも、よくある食べ物でも、偽物でも、モノマネでも
それが楽しいのであれば、それがその人にとっての正しさになります。
とても気分のいい時、好きな人ができて夢ごごちの時、恋愛中の人、何かをやり遂げた時、
こういったとても気分が良いときに聴いていた音楽は何年たっても自分の中の名曲になります。
どこかの雑誌や音楽好きやチャートが酷評をしていたとしても、本人にとってはその曲が気分を高めてくれて、思い出させてくれる人生の1曲になります。
大好きな人とデートに行ったなら、たとえコンビニ弁当でも史上最高の美味しさに感じます。
何かに失敗したり、気分が最悪な時に高級イタリアンレストランに行ってもおいしくはありませんよね。
楽しかったのに真実を追求していくうちに楽しくなくなるのでは、追求しなくてよくて
自分が楽しいと思うことに忠実でいれば良いと感じます。
身体に悪いと言われている食べ物を食べ続けていても、その人が楽しく美味しい美味しい!と食べているなら病気になりにくいのではないかなと思ったり
病気になりたくない、健康でいたいから、楽しくないことをして、まずいものをイヤイヤ食べていたらどうなるか。
正しさよりも楽しさの方が強いのではないかと思います。
ありがとうございました。