私の普段の移動はもっぱら電車です。
電車に乗ると否応なしに中吊り広告が目に入ってきます。
あー新しいドラマが始まるんだ、カロリーオフのノンアルコールビールが人気のようだ、などなどどうでも良い情報も
憧れのアーティストが来日する、興味あることが雑誌の特集になっているぞ、などなど役に立つ情報もあります。
しかし当たり前ですが、この広告は電車に乗っている人しか見られないのです。
都内を走る高速道路沿いのビルやマンションの看板というものも存在しますが、車に乗った人しか見ることはありません。
船には船の広告、雑誌には雑誌広告、もうありとあらゆるところにある広告は、それを利用している人しか目に触れることはありません。
毎日高速道路で通勤している人が、もし何かの広告を出そうと考えていたとします。
真っ先に広告を出す場所として思い浮かべるのは、車の運転中にいつも目に入る高速道路沿いの看板だと思います。
逆に電車によく乗る人なら電車広告を出そうと考えるのではないでしょうか。
その電車広告を一つとってみますと、例えば山手線にいろんな企業が広告を出したくて、幾らかは知りませんが高い広告料を払って限られた場所を取り合うように広告を出します。
電車しか乗らない方は高速道路やバスの広告という存在すら知らず、どうしても電車に出したいのです。
電車を利用する人は沢山いるので皆がそのように考え、たとえ広告が出せたとしても電車内の自分の広告はごちゃごちゃの山ほどある中の一つになって埋もれてしまいます。
それでも電車に広告を出すという選択肢しかないので、がむしゃらに頑張って掻き分けて苦しんでその小さなスペースを奪い合う。
ですが車も電車も両方乗るという方は「電車広告も出したいけど高速看板のほうが目立つからいいかもな」と考えるかもしれません。
電車は高いし競争も激しそうだから雑誌広告にしようかな、バスもいいな、ティッシュ配りもいいかもな、
いろいろな世界=選択肢を持っていれば持っているほどラクに考えることができるのではないでしょうか。
なにか上手くいかないと感じているなら、今いるその居場所しか選択肢がないと感じているのかもしれません。
その小さな電車広告のせめぎ合いに巻き込まれているようなものではないでしょうか。
つまり、私たちの居場所はその一箇所だけではないということです。
会社、職場、友達との食事、仲間、大好きな趣味、スポーツ、将棋、映画鑑賞、恋人、遊び場、このような居場所がたくさんあれば、一つで行き詰まっても簡単にチャンネルが変えられ、代替案が出てきて、息抜きが出来て、力を抜くことができる。
一つの物事も違う目線で見てみれば違って見えることもあるし、物事を俯瞰的に見ることができるかもしれません。
もしお仕事で大失敗してヘコんでいても、その夜友人と食事に行くだけで笑い話しに変わるかもしれません。
好きなことに集中するだけで客観的に見えるかもしれません。
ウクレレを弾くだけで「なんとかなるさ~」と気持ちがラクになる。
熱くなっている考え方をクールダウンさせることができる。
電車にだけ広告を出すこと=一つの居場所での出来事ばかり考えないで、一歩外に出て、チャンネルを変えて、周りを見回してみればいくらでもそう言った場所はある。
その先には
A地点では受けなかったラーメンがB地点では大ヒットということもあるかもしれません。
日本では評価されなかったスイーツがインドネシアで人気になるかもしれません。
ミュージシャンがいつもやっているライブハウスではなく場所を変えるだけで何かが起こるかもしれない。
新しい場所で好きな人に出会うかもしれないし、大切な仲間に出会うかもしれないのです。
東京に住む方でさえ、案外自分の住んでいる町と職場がある街しか知らないものです。
目の前のすぐそこに様々な楽しい居場所が転がっていて、いつでも歓迎してくれているのです。
それに気がつき無邪気に楽しむだけで、簡単に新しい居場所ができると思います。
ガズレレも、もちろんその居場所の一つ。
多種多様の楽しい方が来てくれますが、ここでは先輩後輩や年齢差やお仕事の立場や、そんなものは何もなくてただウクレレに没頭している同志?のような楽しい空間。
大企業の重役であろうが学生だろうがバイトだろうがみんな同じ。そこで一緒に歌ったり世間話したり友達になったりして輪が広がっていく楽しい時間。
自分の居場所を増やすとあんなに悩んでいたことがどんどん小さく感じられる。
電車だけに乗っているのでは、他の場所はイメージしずらくなります。
私たちのいるこの世界は本当に広くて大きいのです。
ありがとうございました。