何か迷った時、困った時に「こっちにする?どうしよう?あっちだ!」
言葉に出なくても何気なく自分の行動を相談する相手は自分自身という相棒です。
食事のメニューを選ぶのも、好きな人ができた時も、楽しい時も辛い時も、いつでもどこでも一番近くにいてくれて一緒に悩んで、喜んで、答えを探してくれる頼れる相棒です。
私はこの見過ごしがちな自分との対話に注目し、大切にすることを強くお勧めします。
「なりたい自分は何か?」「どうすれば楽しいか?」
未来のワクワク想造をする相手は自分という相棒です。
そして不意に現れる人生の一大事の時に慌てず冷静に対話してくれる相手も自分という相棒なのです。
相棒との関係が疎遠でおろそかになっていると、人生の一大事や命の危険に直面した時に信頼関係が築けておらず、自分自身とうまく対話ができません。
そのような緊急時は周りの人との会話や言っていることが絵空事のように感じてしまい「自分自身としか会話ができない」のです。
不安と孤独のなか、頭はパニックになり負のスパイラルに巻き込まれていきかねません。
困ったときだけ頼るのは現実社会でも相手にされません。
普段何でもない時から大事な人との信頼関係を深め、手入れをしておくのが大切なように、自分自身とも信頼関係を築いておくのが大切なのです。
なにより自分を好きになり理解することなのですから。
自分との対話を始めるのは簡単です。
テレビもラジオも音楽も本もなにも無しで「
ただ想造する」だけです。
私は「楽しいことだけしかしない人生」を歩みたいです
私は白血病~骨髄移植の治療中に、何度か危ない場面に遭いました。
その時に人間であれば本来、最後に1回だけ経験することをすでにバーチャル体験してしまいました。
ベッドに横たわり自分自身と対話するのです。
自分の人生はどうだったのだろうと振り返り確認するのです。
どうやら最後は自分の人生はどうだったかを自分自身に問いかけるようです。
そのとき 「最高の人生だったけれどまだやり残しがある!」 と悔しく思った記憶があります。
悔しいというのは後悔です。
危ない場面をなんとか乗り切った後、長く続く入院中も常にこう思っていました。
「今はこんな状態だけど、もし僕が以前のように戻れるならば楽しいことしかしないぞ!」
復帰したらああするぞ!こうするぞ!そればかり。夢、願望。
そして「後悔はもうしない」という想い。
いつも自分自身という相棒とそう願い続け、想造し続けていました。
時間だけはいくらでもある病院では、相棒と語らう時間もたっぷりありました。
妻や家族との会話とはまた違う、マインドの奥の方の想いや想造。
やっとの思いで退院し、様々な症状に苦しみながらも、今とうとうここに辿り着きました。
こんなに楽しく流れる毎日は、病院で相棒と思い描いていた幻想そのものなのです。
そしてこうして復帰できた私は「楽しいことだけしかしない人生」を家族と仲間と、自分の中の相棒と共に生きています。
病気になった事で自分とすごく仲良しになり、そしてもっと楽しむことを対話し続けているのです。
私の経験から人間はきっと最後に「自分という相棒」と語り合い振り返るのでしょう。
「自分の人生はどんなだったか?」
最後に必ず訪れるその時に「自分が望んでいた素晴らしい人生だった」と言えるように
今していることが間違っていないか?大丈夫か?楽しいことか?ワクワクするか?
相棒と常に確認して生活して行けば、自分の思い描いた人生を生きることができると思います。
あともうひとつ。
最後に「どんな人生だったと思いたいのか」も少し考えてみましょう。
「楽しい人生だった」と思いたければ楽しいことをたくさんしなければそう言えません。
いま将来が不安でたまらない人は「不安だった人生」
いま不満ばかりの毎日の人は「不満ばかりの人生」
いま幸せだなあと感じている人は「幸せな人生」
いま楽しいことばかりでワクワクしている人は「楽しくワクワクしていた人生」
一度しかない人生を後悔しないように、最後の瞬間に自分の人生が素敵に思えるように
いまを生きていきましょう。
ありがとうございました。