きっと何も考えずに「無」になることができれば、リフレッシュできてリラックスできて、自分の体が自分でないような心地よさで
未知の体験なんだろうなー、と、思っていたのですが、
私は「無」になることができていることに気がついたのです。
さて、どうやって無になるか?
それは頭の中で音楽すること。ラップを歌うこと。頭の中で洋楽を弾き語りする事。
はてな??
と、お思いでしょう。
ご存知の通りアメリカ人のラップは膨大な歌詞の量と、独特なリズム感に英語を巧みにあわせて、パズルのように喋っていきます。
以前 House of Pain というグループの JUMP AROUND という曲に出会って大好きになり、この曲の歌詞を丸暗記しようと決意し何ヶ月もかけて覚えました。
ものすごい量の言葉の数です。本物のアメリカ人ラップですから。しかも中身の意味はスラングだらけでよくわからなくても、その言葉だけを覚えていきました。
覚えるのはかなり難儀しましたが、不思議なことに一回しっかり暗記してしまうと何年たっても覚えているもので、なにかのタイミングでそのラップを頭の中で歌うのです。
すると「無」になれることに気がつきました。
考えたくないことがあるときや、自分の頭がうるさいときは、すぐに JUMP AROUND を自分の歩くリズムでラップする。
するとつらつら次から次へと歌詞が出てくる、リフレッシュできてリラックスできて、自分の体が自分でないような、考えているのかいないのか、そんな心地よさ。
それがきっかけで、英語の曲を覚えて歌詞を丸暗記して、もちろん楽器でプレイします。が、楽器がなくても目を閉じて手でウクレレやギターのコードを押さえている感覚をイメージし、丸暗記した歌詞を歌い、頭の中で爆音で演奏する。
これが私にとっての「無」なのだということが分かりました。
つまり、考えているようで考えていない、次から次へと何かに操られるように出てくる状態。これはお坊さんが読むお経と一緒なのではないのかな思いました。
そう考えると、絵描きは順調に絵を描いている時が「無」になっている状態。職人は自分の手でそれを作り上げている途中が「無」であり、スポーツ選手は競技に一心に向かっている最中が「無」であり、子供が夢中で壁に絵を描いている時が「無」である。何も考えていないのに手が勝手に動いていくような感覚。
夢中になって集中して好きなことに正面向かっている時は「無」になっている。
なにも、座禅を組んで「無」になるぞ!と決意して宣言しなくても、簡単にリフレッシュできてリラックスできて、自分の体が自分でないような「無」の心地よさを味わえることができます。
夢中になって集中できることがあればすぐにそれを体験出来る。ただし「無」の状態になるのは結果であって、目的ではない。
まあ、簡単に言えば、好きなことを誰にも気にせずに思いっきり100%でやりましょう~~!
ありがとうございました。