今訪れている私の地元、南信州飯田では今まさに満開の桜が満開です。
たくさんの人々を楽しませてくれた東京のキレイな桜の花はもう散ってしまい、もう次の季節への準備へと向かっているようです。
日本人は桜が大好きで、自宅の庭にある桜の木を切っただけでもご近所から「なんで?」「どうしてですか?」などと言われてしまうのだそうです。
桜が咲くと「あ、見に行かなきゃ」という気持ちになってきます。
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」ということわざがあります。
その意味は
世の中は、3日見ないうちに散ってしまう桜の花のようなものだ。世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。
田舎から東京に出てきてあちこちの街に住みました。
その場所を何年ぶりかで訪れると、あまりの街の変貌ぶりにびっくりしてしまいます。
大好きだった定食屋さんがなくなっていたり、よく訪れていたカフェがリニューアルしていたり、とにかく自分が住んでいた時とは空気感がまるで違う気がします。
しかし、昔ながらの惣菜屋さん、銭湯、蕎麦屋さんなど、まるで時が止まったようにそのままのたたずまいを残している街の風景もあり安心してしまいます。
よく考えてみますと、お店などはお客さんが来なければ潰れてしまいます。ということはあのボロい蕎麦屋さんにも小汚い惣菜屋さんにもしっかりとお客さんたちがいて支えているのだという事実があります。
そのお店は三日では移り変わりませんでした。なぜでしょうか?
そのお店はいつ訪れても満開の桜のようにきらびやかで人を惹きつけるものを提供していたからだと思うのです。
そこに人が惹きつけられ、また来ようとなり、そうして1年が経ち、10年20年。この間ずっと満開の桜のような価値を提供している。
これは街の個人のお店だけではなく、あなたの勤める会社やあなたの事業でも同じでしょう。
お金をいただいて生活していくには、どこかの誰かが「君の桜は綺麗だね」と言っていただけるからだと思うのです。
ですから「僕の桜を見てくれよ」「こっちの桜も珍しいよ」「あっちの桜はあんな色している」「僕の桜は大きいよ」とどれだけ自分の桜が良いか評価してもらえるように、お仕事をしています。
「君の桜はいいね」という評価を受け、お金をいただき仕事になる。
自分独自の桜を発信していかないと、すぐそれより良い桜が出てきて「3日見ないうちに散ってしまう」かもしれません。
新しい価値を、新しい感覚を、老舗の色を、元祖の形を発信して咲かせています。
どこかの田舎の
誰も足を踏み入れない山の奥のずっと奥にもキレイな桜は咲きます。
その桜は誰にも見られることはなく、誰にも評価されることもなく、ただ全力でその綺麗な花を咲かせています。
自分の好きなことに夢中になるということは、この山奥の桜のようなものだと思うのです。
ただ自分が生きていく上でやりたいことに夢中になるという幸せ。
そんな状態の桜を、何かのきっかけで、どうにかしてその山を登って発見した人には
「こんな誰にも知られていないところに、こんなにも素晴らしい桜があった!」「発見した!」
となるかもしれませんが、そンなことでさえ、どうだっていいのです。
評価を受けるために咲いているのではなく、自分自信を高めるために咲いている桜というありかた。
どちらの桜の花も、間違いなく美しい花を咲かせているのです。
自分のため、人のため、一生懸命に咲かせている。人のためといっても咲かせるのは自分の花です。
私たちはそうやって花を咲かせ、命を燃やしている。
何も考えずシンプルに思いの限り全開で桜を咲かせていれば気持ちが良さそうです。
ありがとうございました。