1959年製 ギブソンレスポールスタンダード チェリーサンバーストがここにあったらいかがでしょう?
「なにそれ?」
「え~本当に?!!!??」
真っ二つに分かれるでしょう。
1959年製 ギブソンレスポールスタンダード チェリーサンバーストというのはエレキギターを知っている方なら憧れるどころではない名機中の名機で、現在では何千万円で取引されている歴史的ギターなのです。
が、しかし。ギターやロックに興味のない方にとっては古いオブジェでしかない粗大ごみのようなものに映るでしょう。
私 「あ!向こうからすごいアストンマーチンが走ってくる!」
妻 「あれいい車なの?」
私たちの中ではよくある会話ですが車に興味ある人とない人では、こんなにも共感は出来ないものなのです。
私たちが普段使用している1万円札は作るのに22円かかる紙っぺらですが、みんながそこに含まれている「価値」を知っているからお金として存在しているので、犬は見向きもしません。
つまり、その価値を分かっている人同士でないと、その価値はわからないのです。
いろいろな大好きなものがあり、そのことを調べ、詳しくなり、その価値を知り、高めています。
お料理好きは外食すると「これはあのスパイスだな?あの焼き方か?」などと一般の方とは違う楽しみ方をするでしょう。
妻はDIY手作りが大好きですので、雑貨屋さんをぶらぶらしていて気に入ったものを見つけると、購入はせずに「どうやって作ろうかな?」と考えています。
ガズレレを始めてくれた方も「あの曲弾きたい!」「あの右手はどうなっているのだ?」といままでは見向きもしなかった楽器を弾く価値に魅せられます。
それぞれ自分の尺度で、自分の好きなものを調べ、その価値を知り、ハマります。
そういう楽しくワクワクした生き方が幸せなんだと思います。
知り合いにこんな方がいました。
「私、全然幸せじゃないんですよ」
そこにいた私たちは不思議でした。彼女は結婚もしていて長年一緒に暮らしていてお仕事もちゃんとしています。
「私、普通だし得意なことがないし、、、、、」
こういった方は自分の足元に転がっている素晴らしい価値に気がつけないのです。価値は気がつくことができなければ石ころ同然です。
そしてまたこんな夫婦もいます。ガズレレでウクレレを始めてくれた、田舎から上京して夢を追いかける夫と支える妻。
「幸せで仕方がない~!」
今この手にある幸せを思い切り満喫することができるのは、二人で生活している今が素晴らしいという価値を分かっているからこそできることだと思います。
そして今は「夫とウクレレという共通の趣味ができて嬉しい!」とさらに幸せの価値を高めているのです。
私は白血病になって骨髄移植をさせていただき、免疫異常で大変な経験をし、なんとかここまで蘇ってきた中で
「当たり前に生きている価値の高さ」を思い知ったのです。
そして生きるということは「楽しむことだ」とわかりました。
本当に大変な時に人間は「自分の人生はどんな人生だったか?」と自分に問うのです。
そのとき
「苦しかった人生」だったのか
「不幸な人生」だったのか?
「あれもこれもやっておけばよかった」「あの人に謝りたかった」後悔の人生だったのか?
「楽しい人生」だったのか?
「幸せだった」のか?
そしてそれは、今現在をどう生きているかだけなのです。
先延ばししていたら「先延ばしにしていた人生」
何かのせいにして進めないなら「何かのせいにしてきた人生」
結果ではなく状態なのです。
そして誰もがその方にしか持ち得ない「価値」を持っていて
それに気がつくかどうかが問われていると感じます。
自分自身で気がつく場合と、誰かに言われて気がつく場合があり
私の経験上、自分で思っている自分の価値より、他人に言われた自分の価値の方が的を得ていることがあるとも思います。
自分はダラダラしていると思っている方も周りから見れば「ゆったりリラックスしてて癒される」
せっかちな自分が嫌いでも周りから見れば「テキパキ仕事が早い」
何をやっても長続きしない人も周りから見れば「何事にも挑戦するチャレンジャー」
都合よくいいところだけ見ていればいいのだと思います。
それが楽しく生きるはじめの第一歩。
ありがとうございました。