私は東京に住んでいます。
自宅の前には美しい林があり、その奥には緑豊かな城北中央公園という大きな公園があります。
目の前には梅の花が満開で、落葉樹の大木はもう芽が出始めて
朝は鳥の鳴き声で目が覚め
季節が変われば蝉が鳴き、鈴虫が鳴き、カナブンやハチが遊びに来ます。
四季を感じさせてくれるありがたい環境に住んでいますが、ふと考えることがあります。
この木や鳥や虫たちは、誰に餌をもらっているのでもなく
飼われているのでもなく、世話になっているわけでもないのだなと。
公園の木々や保護樹林は確かに保護されてはいますが、切ることを免れているだけで肥料や水を与えられているわけではありません。
そもそも最初は自然の野山だったわけで保護なんて言葉自体がおかしなものですが。
鳥はどこかで自分たちで食べ物を探し、虫たちもどこかで自分たちで食べ物を探し
お金という価値もない自然の世界で命を繋げています。
しかもこの大都会「東京」の真ん中で。
梅や桜は誰かのために美しい花を咲かせているのでしょうか?
蝉や鈴虫の美しい鳴き声は、何も人間に季節感を味あわせてくれるためのものではないでしょう。
もし彼らがいなくなってしまったら、いよいよ人間が自分たちの思い通りになる世界を完成させてしまった
ということになるかもしれませんが、それはあり得ないでしょう。
1から10まで全て理詰めでは行きませんし、だからこそ魅力も恐れもあるのだと思います。
人間の思い通りにならないものが「自然」で
思い通りにしようとするのが「人間」です。
そしてこの私たちも、彼らと同じ自然の一部なんだと思います。
周りをふと見渡すだけで、鳥や虫や木々など「彼ら=自然」はすぐ近くにいる
その中に私たちもいさせてもらって
その中でワイワイ笑ったり泣いたりしていると思うとなんだか楽しくなります。
ありがとうございます。