遊ぶのは楽しい!
トランプ、バドミントン、オセロから、旅行やキャンプ、趣味にスポーツに、我を忘れて夢中になる。
子供も、遊びたくて遊びたくて仕方がなさそうです。何がそんなに楽しいのだかとにかく遊ぶ。
お母さんに「もう帰るよ」なんて言われようものなら必死になってもっと遊びたいと抵抗します。
そして、どんな遊びには終わりが来ます。
ずっと遊んでいたいのですが。
お母さんに「ごはんですよー」と呼ばれたり、旅行の日程が終わったり、借りているテニスコートの予約時間が過ぎたり。もっと言えば、予算が足りなくなったり、眠くなったり。。。そんな「状況」に遊ぶのを終わらされる。外的要因です。
もう一つは内的要因。
やーめた!と飽きて投げ出す場合もあるでしょうが、大好きな遊びならずっとしていたいもの。
ずっと続けていたいものです。
でも、自分がもう十分満足して「あ~もうたくさん遊んだからやーめた」と、自分で遊びを終わらせると、すがすがしい。
私にとって曲作りなども遊びといえば遊び。
ノッテくると夢中になってデモを作ってこねくり回して、最後には「よし!これで完成!」と、自分で完成を決める。
なぜか自分で完成の時がわかる。
これは絵を描いたり、チラシを作ったり、料理を作ったり、文章を書いたり、ブログを書いたり、
想造していることは全て「よし!これで完成」これ以上いいものはできない、これが最高!と分かる瞬間がある。自分で終わりが判断できる。
自分で満足して終わりにするということは、納得いくまでとことんやったから終われると思うのです。
そうして、やっと、また次の遊びに入って行く感じ。
ほかの人の判断で完成=終わりを決めるのではなく、自分の頭で目で手で、感覚で決めて、自分で終わりを決める。
ところが、納得いくまでとことん出来ずに、中途半端なのに、全然できていないのに、何かに終わらされると、もうそれは面白くない。なにかシラケるようなガッカリな気分。
何事でも、他の何かにモノゴトを決められるより、自分で決めたい。自分で納得するから、次の遊びに行ける。
終わりがあって、次がはじまる。
ありがとうございました。