私たちは自分の興味があることしか見ていません。
私はギターやウクレレなどの楽器や音響機材に興味があるので、たまに楽器屋さんを覗いたりWEBで最新情報なんかをチェックして、買いもしないのに楽器を眺めては「あ~これはいいな!」「うわー出た!」とか言って一人で盛り上がっている。
スポーツをしている方を見てみますと、靴やウェアーや、どこのサッカー場や野球場を借りるか?どの道具が使いやすいか。体調管理や筋肉について。
子供がいるご家庭なら、地域の情報やイベント情報、自治体のサービスや教育、環境などに興味があるのではないでしょうか?
お年寄りならまた違う興味。男子なら、女子なら、子供なら、独身なら、、、
もうそれぞれが、いろいろな自分に関することに興味があって、調べて、知っているのです。
先日、妻と話していて、私たちがさんざん見まくっている雑誌の話題になりました。
「あの記事読んだ?」「え?あの雑誌にそんな記事あった?」
「それよりあれ面白かったね?」「そんなの見た記憶ないわ」
なんてやりとり。
ほとんど同じ感覚だと思っている私たち夫婦でさえ、たった1冊のお気に入りの雑誌のなかで読んでいるところが違っていました.
それぞれ興味があるところしか見ていませんでした。
ある日「小屋に住むということ」について興味が湧き、雑誌やネットで知らべてみますと、膨大な情報があり、その世界がありました。
そしてその世界は、私が調べる前から長い歴史があって、有名な人や場所があって、大好きな方々が大勢いたのに
私が調べるまで、その世界は私はまったく知らないもので、私の中に存在しないものだったのです。
付き合い始めた男女がいます。
まずはどこかにデートに行こうか?
調べてみると、いままで知らなかった情報が雑誌やウェブサイトに山ほど見つかり、今まで存在を知らなかった新しい世界を知る。
次に結婚を考え始めると、結婚式場や新婚旅行、ドレスやパーティーなど、いままで知らなかったウェディングの世界が見えてきます。また新しい世界を知る。
結婚して子供が生まれたら、地域、環境、教育、政治に興味がわき、調べてみると今まで知らなかったたくさんの情報があり、また新しい世界を知ります。
次から次へと、自分の知らなかった世界が、求めればちゃーんと現れてくれるわけです。
ジョギングをしてみようと思ったとたんに、知人やスポーツショップで走り方やシューズの情報を教わり、走ってみて、今まで知らなかった新しいジョギングの世界が見える。
ガズレレウクレレを始めた方も、今まで自分の知らなかった音楽の世界が現れる。
自分が病気になった途端に、たくさんの情報に囲まれ、そんな病気治療にまつわる世界があることを知る。
野菜を育ててみる、日曜大工をしてみる、コンサートに行ってみる、旅行に行ってみる、そこで見えてくる知らなかった世界。
興味を持った途端に目の前にドーンとその世界、宇宙が現れる。興味がないものごとは、その人に存在しない。
しかし、きっとそれぞれの世界はあるな~とはうすうす気が付いてはいる。ドアがあることはなんとなくわかっている。
たくさーんのドアが並んでいて、それを開けた途端にその世界があります。
そのドアは見えていて、それを開けてみるか、開けないか?開けざるを得ないのか?
見えていないけど、すぐそこに、いろいろな世界があるという面白さ。
ありがとうございました。