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GAZZLELE

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2015/05/13

見事にぜんぶ叶っていました

なんだか、ふと今までの自分を振り返ってみますと、いままでちゃんと自分が思ったようになっていたんだなあと思います。
  ロックにやられて、ギターにはまり、バンドがしたくてライブハウスもない長野のど田舎からギタリストを志してノコノコ出てきて   東京でバンドを始めるもボーカルがいなくて、いつまでたっても動けないじゃん!と、その時初めて自分で歌って(当時は吠えて)今やボーカリストでもある。   CDを出したくて、ツアーをしたくて、メジャーに行きたくて、アメリカでライブをやりたくて、最高のバンドをやりたくて   それは、結果、見事にぜ~んぶ叶っていました。   それだけではなく、それをやっている間に、愛する人と出会い結婚し、色々な場所に住んで、旅行して。バイトしてお仕事して、たくさんの人に出会い、笑い、遊ぶ。   帰る家があって、毎日美味しくご飯を食べて、お酒を飲み、歌を歌って、爆睡する。   もう願った通りでびっくりしてしまいます。本当に願えば叶う。   でも、このように実感出来るようになったのは、病気になった後からのような気がするのです。   ですから、病気になったのは良い機会だったのだと、今は思います。   ドナーさんや家族や仲間、医師、病院、骨髄バンク、日本という国。もちろんたくさんの方々の手助けを頂いたことで、心から自然に感謝の気持ちが湧き出ました。   あの時、あれだけ死にそうだったのに、今はこんなにピンピンしている。「生きる!」と願ったから。   これが私にとって究極の「願えば叶う!」という事を目の前で見せてくれた体験になりました。   それまでは、たとえ、そこにたどり着いても、それに気がつかず「まだまだ足りないもっともっと」と思っていました。   もし病気になっていなかったら、死ぬまで「まだまだ足りないもっともっと」と思い続けてグイグイ進み続け   「まだまだ足りない人生」を歩んだかもしれません。   しかしながら、それを、最近私の中で流行の「全部それでよくて、みんな正しいな」的に考えてみますと   私はその時「まだまだ足りないもっともっと」という人生を望んでいて、そう言って、動くことが幸せだったのです。   その時の私に今の私が何か助言をしたとしても、こう返されたでしょう。   「うるさいよ!おっさん」   でも、足りないもっともっと!と願い続けて、一体いつ満足するのかな?と、ふと思う。   ふと、それを思わない人は、今も「まだまだ足りないもっともっと」な人生を謳歌して幸せになっているのです。   それも「全部それでよくて、みんな正しい」ので、ただ単に、私のいま思う幸せとは違うというだけのこと。   私は病気がきっかけでしたが、ふと思った。そうして振り返った時には、もう全部あった。   そしていま「十分にある、感謝の人生」をゆっくり進んでいる。   「まだまだ足りないもっともっとの人生」よりも「十分にある、感謝の人生」のほうが、いまの私にとっては良いみたいです。   私にとっては、です。   病気治療入院中にベッドで書きためた曲がたくさんあります。その曲を先日整理していたら、歌詞の中に同じような言葉がたくさん出てきていました。   「探していた理想は、もう自分のものになっている」   「欲しかったものは、いまもうこの手の中にあった」   もう、その時には気がついていたんだなあー。   こうして自分の曲を聴き返してみますと、過去からの贈り物をもらったような変な気分になります。   これらの曲を1回ちゃんと形にしたいなあーとおもいます。   でも、昔、あの時に「まだまだ足りないもっともっと」と願ったから、今ここに、この自分がいるということでもある。   ということは、まだまだ私も、バカげた夢みたいなことを考えていた方が、面白くなりそうですね。   そして、私は「願えば叶う」と思っているから、叶っているのかもしれません。   ありがとうございました。

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