年配の知り合いの方に「電車でみんなスマホをいじっているけれど、あれ何やっているんだい?」と聞かれました。
「僕はメッセージ送ったり、フェイスブックでとかで自分の興味がある記事読んだりましてますよー」と伝えましたが
確かに皆さん何をしているのかな~~?と思っていたところへ
先ほど電車に乗っていると私の両サイドにスマホをしている若者がいました。
ちらっと覗くと、片方の男の子はゲームに夢中になっていて
もう片方の女の子は、細かい文章を夢中で読んでいました。
「スマホばっかりいじって」という言葉をよく耳にします。
その女の子はスマホを使って本を読んでいたとしたら、どうなのでしょうか?
いまは電子書籍Kindleなどでスマホで本を読めるのです。
本を読むことは、悪いことだ!とは言われなくて、良いことだとされていますよね。
しかし一見するとスマホをいじくっている若い女の子です。
だとすると、紙に書いてある文章を読むのは良いことで、画面の文章を見るのはいけないことになるのかな?
同じ文章を読んでいて、その素材によって良い悪いが変わるなんて、可笑しくなってしまいました。
男の子の方はゲームに夢中でヘッドフォンをして集中している様子でした。
こちらも、考え方を変えれば、こんなに好きなことに熱中できるなんてすごいことだなあと思いました。
画家が自分の作品を描きあげる時もきっとこんな集中力だと思うし、私が曲を作ったり、録音している時なども、多分このように集中しているのだと思います。
子供が絵を描き殴ったり砂場遊びしたり騒いだりして夢中になって
あっという間に時間が経ってしまうような時の感覚は、大人になるとなかなか味わいにくくなってきてしまいます。
もちろん自分自身で何かを生み出す夢中と、与えられたゲームという枠の中での夢中にはだいぶ差があるとは思います。
自分で生み出して夢中になっている人は、自分に対してゲームのような課題を与え、それに向かっていて
ゲームに夢中の人はゲームに課題を与えられ、それに向かっている。
つまり、きっかけが内側にあるのか外側にあるのか?ということだけで、夢中になっている状態というのは、どちらも同じなのではないかと感じます。
学者が研究に夢中になること、スマホでゲームに夢中になること、子供が遊びに夢中になること
油絵を書いて夢中になっているのと、落書きに夢中になっているのと、スマホで読書に夢中になることは
手段が違うだけで、同じ「夢中になる」ことをやっているのに、その立ち位置だけで良い悪いが判断されている面白さを感じました。
夢中になれることを持っているということは、とても良いことだと思います。
どれだけ我を忘れて、夢中になっていられるか。
考えてみますと、クリエイティブ系のお仕事は「夢中になることが許される仕事」なのではないかと思います。
画家、建築士、ミュージシャン、デザイナー、たくさんありますが、夢中で没頭しているのでしょう。
お店の店員さんや営業マンや事務員さんが、何かに夢中になっていて、お客さんが来たのに気がつかないのでは仕事になりません。
ゲームでも読書でも作曲でも、何でもかんでも夢中になっているときはクリエイティブな時間を過ごしているということでしょう。
夢中になっているときは、とても楽しい。
夢中になっているときは、誰に何を言われても聞こえません。
そのとき その人は夢の中にいるのですから。
ありがとうございました。